「やってみなはれ」——この言葉とともに記憶される男が、鳥井信治郎(とりい しんじろう)です。サントリー(専用記事)の創業者にして、日本初の本格ウイスキーに挑んだ開拓者。「日本人にウイスキーは無理」という常識に、商人の情熱と不屈の精神で挑んだ。日本のウイスキーのもう一人の父、鳥井信治郎の生涯を、列伝として描きます。挑戦し続けた商人の物語です。

01 商人としての出発

鳥井信治郎は1879年、大阪の商家に生まれました。薬種問屋で商いを学んだ後、20歳で独立し、鳥井商店(後の壽屋、現サントリー)を創業。まず彼が成功させたのが、甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」——大胆な広告戦略(専用記事の広告)で大ヒットさせ、洋酒事業の基盤を築いた。鳥井は、優れた商才とマーケティングの才を持つ商人だった。この「赤玉」の成功が、次なる大きな挑戦——日本初の本格ウイスキー造り——への資金と自信を与えた。商人・鳥井信治郎の物語は、時代の先を読む嗅覚から始まったのです。

02 「やってみなはれ」の精神

鳥井信治郎を象徴する「やってみなはれ」は、単なる口癖ではなく、経営哲学そのものです。前例がなくても、失敗を恐れず、まず挑戦する——この精神は、サントリー(専用記事)のDNAとして今も受け継がれ、数々の革新を生んできた。角瓶トリスウイスキー(専用記事のトリスバー)、そして世界的評価を得る現代のウイスキーまで——すべては鳥井の挑戦精神の延長線上にある。実直な理想主義の竹鶴とは対照的に、鳥井は大胆で楽観的な開拓者。失敗を恐れず挑む姿勢は、ウイスキーに限らず、あらゆる挑戦者を勇気づける言葉として、今も生きているのです。

03 開拓者の遺産

鳥井信治郎は1962年、世を去りました。彼が遺したのは、サントリーという企業だけではありません——「やってみなはれ」という不屈の精神と、日本にウイスキー文化を根づかせた功績。竹鶴政孝(専用記事)が「本物へのこだわり」で日本のウイスキーを深めたなら、鳥井信治郎は「挑戦する勇気」でそれを切り拓いた。この二人がいなければ、今のジャパニーズウイスキー(専用記事)はなかった。角ハイボール(専用記事)を一杯飲むとき、その原点に、無謀とも言われた挑戦に賭けた一人の商人がいたことを、思い出してみてください。